広島はじめ全国屈指の強豪校である広陵高校。
2023年のドラフト会議では真鍋選手の順位縛りで世間をにぎわせました。
聞き馴染みもある方が多いかと思いますが、監督は中井哲之監督です。甲子園でも優勝経験がある監督さんですが、今回はその中井監督とその息子さんについて紹介していきたいと思います。
今回の記事では
- 仲井監督の経歴が分かる
- 中井監督の息子さんが何者なのかが分かる
- 広陵野球部の強さの秘訣が理解できる
それでは最後まで読んでみてください。
広陵中井監督の経歴
選手時代でも広陵高へ進学。主に内野手として活躍されました。
自身でも甲子園に出場しており、1番として1大会盗塁5つと足の速さが目立っていたようでした。
高校卒業後は、大阪商業大学へ進学。1985年に商業科の教諭として広陵高校へ戻ってきます。同年から野球部のコーチに就任。コーチ時代では「鉄人」金本知憲らも育てました。
1990年に同校の低迷により、27歳という若さで監督に就任することになりました。
1991年には春の選抜で勝ち上がり、同校を65年ぶりの優勝へ導きます。同年は上下関係が厳しすぎた野球部の改革にも取り組んだことが優勝にもつながったのではないでしょうか。
2003年春にも元読売ジャイアンツの西村健太郎投手、元広島カープ白濱裕太選手、元阪神タイガース上本博紀選手らを擁して、中井監督自身2度目の全国制覇を達成します。
夏の大会でも準優勝を何度か経験しており、記憶に新しいのは、第99回大会、中村奨成らを率いての準優勝。この年の中村選手は本塁打記録や打点記録など多くの記録を塗り替えた年でもありました。
このように、広陵高校の強さが分かりますが、プロ野球選手の輩出も多く、自然と有望な中学生が中井監督の下で野球をやりたいと意気込んで入学してくるのでしょう。
中井監督の息子の経歴
中井監督の息子さんの存在についても触れていきたいと思います。
- 中井惇一
- 現在広陵高校野球部部長
- 広陵高校卒業
- 中京大学卒業
中井惇一さんも2010年広陵高校へ入学。佐野恵太らを擁し3年時には主将を務め、甲子園を目指すも地方大会で敗れています。
高校卒業後は中京大学へ進学し、保健体育の教員免許を取得します。
大学を卒業した2017年に広陵高校の保健体育の教諭として戻ってきて、同年の夏の大会では親子での甲子園出場を果たしています。
2023年には部長として監督とともにベンチに入っています。
今後いつになるか分かりませんが、監督が勇退した際には、次期監督としてご活躍が期待されるところです。
広陵野球部の強さの秘訣
多くのプロ野球選手や、甲子園でも実績を挙げている広陵高校ですが、その強さの秘密について探っていきたいと思います。
まず目立つのはやはり強力打線。
基礎的なティバッティングやフリーバッティングは重要にしている感じですね。プラスαで個人的な練習も強力打線を創っている要因といえるでしょう。
また、伝統の守備力にも目が光ります。
やはり大事にしているのは基礎練習。練習では多くの時間を守備練習に充てており、甲子園で勝ち上がるには守備が大事ということを監督、選手そろって認識されているのでしょう。
130人を超える大所帯。選手に目が行き届かなくなることも懸念されるところですが、中井監督はメンバー外の選手にもフォローを欠かさないといいます。
メンバー外の選手にも居場所を作ってあげることで、チームとしてレベルアップできるのだといいます。
技術的なところはもちろん、精神面でもフォローできるからこそ強豪広陵野球部ができあがっていっているのだと思います。
まとめ
- 中井監督は広陵→大阪商業大学へその後母校の監督へ
- 息子の惇一さんも広陵の主将を務めていた
- 惇一さんは保健体育教師で野球部部長
- 強さの秘密は130人全員に居場所があること
以上、広陵高校の中井親子、野球部の強さについてまとめさせていただきました。
広島県も広島新庄や広島商業など強豪校が多数あるので、突破するのは容易ではありませんが、中井親子がまとめ上げる広陵野球部には今後も期待がかかるところです。
では!!!
【選手でも監督でも甲子園優勝】沖縄尚学比嘉公也監督の輝かしい経歴とは!? (asnysk.com)
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