【選手でも監督でも甲子園優勝】沖縄尚学比嘉公也監督の輝かしい経歴とは!?

スポーツ

今回に記事では、強豪校ひしめく沖縄県で長年引っ張ってきた沖縄尚学の強さについて、そして同校を率いる「比嘉公也監督」について解説していきたいと思います。

この記事では

  • 比嘉公也監督の選手時代の活躍が分かる
  • 比嘉公也の指導者としての経歴が分かる
  • 沖縄尚学の強さの秘密が分かる

以上のことが分かるかと思います。

是非最後まで読んでいただき、甲子園楽しみを増やしていただければ本望です。

比嘉公也監督のプロフィール

比嘉 公也 (ひが こうや)

1981年6月29日生まれ

沖縄県出身

投手(左投げ左打ち)

比嘉公也監督の選手時代

では早速沖縄尚学高校、比嘉公也監督の選手時代を振り返ってみましょう。

比嘉監督自身も沖縄尚学ご出身のサウスポーとして活躍されました。

比嘉公也という名前を聞いて、見覚えのある方もいるかとは思います。そうです、沖縄尚学が1999年春の選抜野球大会でエースナンバーを背負ってチームを牽引していたのが比嘉監督です。

この大会では、1回戦の比叡山相手に完封勝利を収めると、準決勝のPL学園戦では、延長12回212球を投げ抜き完投勝利を収めました。

決勝では茨城の水戸商業でしたが比嘉監督の登板はありませんでした。

水戸商業の右サイド三橋投手を打ち崩し、沖縄県勢初の甲子園優勝を果たしました。

高校卒業後は、愛知学院大学へ進学しました。

しかし、左肘痛に悩まされ現役を退き、学生コーチとしてチームを支えました。

比嘉公也監督の指導者としての経歴

大学卒業後は、そのまま沖縄尚学の教員になったわけではありませんでした。

沖縄市の浄水管理所で勤務をしながら、沖縄大学で社会科教員免許の取得に励みました。

無事取得し、同校のコーチや副部長を務めたのち、2006年に沖縄尚学野球部の監督に就任することになりました。

ただスタートは厳しいスタートになりました。同年9月に部内暴力が発覚して対外試合禁止処分が下されています。

その後、2008年、現福岡ソフトバンクホークス東浜巨、嶺井博希らを擁して、選手時代の1999年以来2度目の全国制覇を果たしました。

2013年の明治神宮野球大会でも、決勝で日本文理高校と対戦。

最大8点差を逆転し、秋の全国大会初優勝を果たしました。

これまでに、夏春合わせて通算13勝を挙げている監督さんとなっています。

沖縄尚学の強さの秘密

沖縄尚学・比嘉公也監督 26歳で頂点も「東浜がいなくても勝てるチームを」/連載Ⅲ – 高校野球 : 日刊スポーツ・プレミアム (nikkansports.com)

近年の沖縄の高校野球は非常にレベルが高いです。

2012年には島袋投手擁する興南高校が沖縄初の春夏連覇を果たしたり、一時期の八重山商工、糸満高校など強豪校が多数あります。

その中で、沖縄大会を通過するのは容易なことではありません。

沖縄尚学でまず目立つのは投手陣のレベルの高さ。

105回大会でも東恩納(ひがしおんな)投手が沖縄大会での防御率0.00を記録。夏の甲子園初戦でも完封勝利と、なんとなく東浜投手にも見えてきます!!!!

投手を中心とする守りがやはり強さの秘訣だとうかがえます。

これは比嘉公也監督が投手出身で、育成術が素晴らしいのだと思います。若くして指導者になり全国で通用する投手育成からは今後も目が離せませんね!

あとはやはり、暑さに強いことが1つの要因だと思います。今の時代では、全国各地で暑さは聞きますが、通年気温が高い沖縄で野球をすることというのはアドバンテージになっているのではないでしょうか?

まとめ

ここまで沖縄尚学、比嘉公也監督について触れてきました。

  • 選手として選抜優勝
  • 大学では肘を故障
  • 母校の監督としても選抜優勝
  • 投手経験だからこその投手育成手腕の強さ

激戦沖縄を制することは容易ではありませんが、投手陣を中心に強さを魅せる沖縄尚学は今後も期待が集まること間違いないと思います。

メンバーには入れていない下級生も今後台頭してきたときに非常に楽しみではありますので、皆さんもチェックしておくと楽しみが増えるのではないのでしょうか?

では!!!

【強豪校を撃破! 】土浦日大小菅監督の輝かしい経歴とは? (asnysk.com)

スポンサーリンク

コメント

タイトルとURLをコピーしました