今回の記事では、創成館野球部の秘密について、徹底解剖していきたいと思います。
近年着々と力をつけてきた創成館高校野球部ですが、このチームの監督も経歴が面白い監督でした。
この記事では
- 創成館の概要
- 創成館稙田監督の経歴
- その指導方針
以上のことが理解できると思います。
ただテレビの前で野球を見るより、監督の存在、その経歴を理解していれば見方も変わり楽しさが倍増すると思います。
創成館の概要
HPより引用
創成館は長崎県諫早市に校舎を構える私立の学校です。
学科は普通科とデザイン科の2つ。
その中で普通科の中に、「特別進学コース」「普通コース」「アスリートコース」「キャリアライセンスコース」に分かれております。
キャリアライセンスコースでは、在学中に様々な資格取得に向けて励みます。FP(ファイナンシャルプランナー)、宅地建物取引主任者、MOS(マイクロオフィススペシャリスト)など、将来役に立つ資格取得を目指しているようです。
学校での取り組みも面白いものが多々あり、夢マップ作成や7つの習慣をベースとしたグローバルリーダー養成講座などで未来の人材育成に注力しているみたいです。
この学校のもう一つ面白いところが、なんといっても校長先生。
奥田 修史(なおふみ)校長先生。
生まれは長崎県で、当校のHPには「創成館校長ブログ」が存在しており、ほぼ毎日のようにアップされています!!!
HP創成館校長ブログより引用
校長を筆頭に学校全体が盛り上がっている学校だといえますね。
学校全体の偏差値は38~42みたいですね。
稙田監督の経歴
稙田龍生監督
1964年生まれ
大分県出身
別府大付属高校(現明豊高校)のご出身で内野手として活躍。
高校では1年からベンチ入りを果たし2年時からレギュラーとして活躍、2年秋と3年春には県大会優勝を果たしています。
ただ高校3年間で甲子園出場は0。高校卒業後は野球を一度離れています。
民源品の会社に4年間勤めますが、野球への想いを捨てきれず、社会人野球の九州三菱自動車へセレクションを受け入社します。
九州三菱自動車では3年目で主将となり、5年目になる27歳でコーチ兼任選手として活躍されました。
コーチ兼任で長く活躍され、1999年の35歳で同野球部の監督に就任します。監督として創部初の全国の舞台へ導き、2度の日本選手権大会出場を果たしています。
当時は監督業だけに限らず、同社の営業マンとしても活動、トップセールスマンとして車の販売にも従事していました。
2008年に創成館高校から監督要請があり、高校野球の舞台へ移ります。
就任5年目に入り、2013年春、初の選抜出場を果たし、2015年夏に、夏の甲子園初出場、同1回戦で奈良代表の天理高校に見事勝利し、甲子園初白星を飾りました。
2018年春の選抜では、ベスト8入り、準々決勝では、近畿代表の智弁和歌山と対戦し延長10回、11-10という激闘を繰り広げました。
ここ数年で、甲子園の常連校へ名を連ねてきたと言っても良いでしょう。
また、監督にしては珍しい「心理カウンセラー」の資格も持っており、選手に対してのメンタルケアや勝負においての心理学なんかも選手に伝えているかもしれませんね。
稙田監督の指導方針とは
社会人野球で監督まで務めた稙田監督の手腕、指導方針についてみていきたいと思います。
創成館の野球部は、部員が100名を超えてきます。
全員に目を届かせるのは非常に大変なことかもしれませんが、目指す野球は「応援される」チーム作りが根幹。
その中で、「投手を中心に守り勝つ野球」を目指しています。
監督自身内野手で活躍されていますから、守りの大切さなんかは十分理解しているのだと思います。
監督が選手に伝えるのは、ポジションのコンバートは基本的にはしないということ。投手だけでも40人近くいるが、高校野球だけでなくその後の大学野球まで見据えてのことだという。
こちらも監督自身が一度野球を離れたことから選手たちには長く野球を続けてほしいという想いも隠されているのではないでしょうか?
今後も創成館の投手陣、鉄壁の守備陣には目が離せないところです。
まとめ
さて今回は
- 創成館の概要
- 稙田監督の経歴
- その指導方針
について解説してきました。
個人的に社会人野球に携わることがあるので、「応援されるチーム作り」と言う点では、社会人野球ならではの考えだなと思いました。
実際に高校生には社会人とは?といった部分は分からないことが多いかと思いますが、間違いなく稙田監督から教わる3年間は生徒たちの今後の人生に活かされることは間違いないと思います。
今後の創成館の活躍、稙田監督の手腕にますます期待がかかるところです。
では!!!
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