【甲子園請負人】専大松戸持丸監督は指導者として全ての高校を甲子園へ導いた!?

スポーツ

現在専大松戸の監督を務めている持丸修一監督。

関東に住んでいる方であれば一度は聞いたことがある名前だと思います。今や名称とも呼ばれる持丸監督について今回はまとまってあります。

今回の記事では

  • 持丸監督の選手時代について
  • 持丸監督の指導者としての経歴

以上が理解できると思います。

持丸監督の選手時代

今では千葉県で指揮を執っている持丸監督ですが、出身は茨城県取手市です。

竜ケ崎一高へ進学。

3年生の時に6番セカンドで甲子園の土を踏む。初戦の興南高校相手に2安打を記録しています。

高校卒業後は國學院大學へ進学します。

当時はなんと新聞記者を目指していたそうですが、4年時に母校のコーチとして手伝い、卒業と同時に同校へ赴任することになりました。

持丸監督の指導者経歴

竜ケ崎一高時代

27歳の時に初めて監督に就任することになりました。

最初はなかなか結果を残すことができずにいましたが、就任16年目、第72回大会に初の甲子園出場を果たしました。勝利も収め、翌73回大会でも2年連続出場を果たします。

73回大会では松井秀喜擁する星陵高校に2回戦で敗れています。

竜ケ崎一高では2度甲子園に導きました。

【甲子園】専大松戸・持丸監督 3校で甲子園勝利は戦後4人目 – 高校野球夏の甲子園写真ニュース : 日刊スポーツ (nikkansports.com)

藤代高校時代

1996年人事異動に伴い藤代高校へ異動します。

2001年の73回選抜野球大会に同校を初の甲子園へ導くことになります。

初戦で四日市工業を1-0で破り、次戦は同大会準優勝の仙台育英相手に接戦を演じますが3-1で敗れました。

この大会は茨城から3校選出される珍しい大会になりました。
木内幸男率いる常総学院(優勝)
持丸修一率いる藤代
橋本實率いる水戸商業

75回の選抜野球大会にも出場を果たしました。

常総学院時代

2003年藤代高校を退職し、木内監督の勇退に伴い常総学院の監督に就任することになります。

2007年まで監督を務めますが、この間3度の甲子園出場を果たしますが、常総学院在籍時には甲子園では未勝利になりました。

2007年8月に辞任を申し入れ、常総学院から離れることになります。

専大松戸時代

同年11月に専大松戸の監督に就任することになります。

当時は私学校ながら寮もなく、地元選手で公式戦1勝を目指して活動していました。

持ち前の手腕で年々力をつけてきて、2015年の第97回大会で激戦千葉大会を勝ち抜き初の甲子園出場を果たしました。

2021年の103回大会でも出場を果たし、同校を甲子園初勝利へ導きました。

2023年105回大会にも出場しており、3回戦で茨城代表と対戦することになり、茨城野球ファンは応援に熱が入ることでしょう。

また、指導した4校全てで甲子園に導き、3校以上で甲子園で白星を挙げるのは戦後4人しかいませんので、名将と言われるまでになりました。

まとめ

初出場決めた専大松戸 持丸監督支えた木内幸男氏との“恩讐”|野球|日刊ゲンダイDIGITAL (nikkan-gendai.com)

  • 選手でも甲子園出場
  • 竜ケ崎一高で甲子園出場(松井秀喜と対戦)
  • 藤代高校で2度甲子園出場
  • 常総学院でも3度甲子園出場(未勝利)
  • 現在専大松戸の監督として活躍

以上、持丸修一監督の経歴をまとめました。

名将と言われる監督が続々と勇退している中、顕在し続けている持丸監督には今後も期待がかかります。

千葉県大会を制するのは大変なことではありますが、持ち前の投手力育成に力を入れ、甲子園でこれから何回持丸監督の姿を見られるかが非常に楽しみですね。

では!!!

【息子と二人三脚】広陵野球部中井監督の経歴と息子の経歴を徹底リサーチ (asnysk.com)

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