今回の記事では、甲子園をもっと楽しみたい方、その学校の指導者のことも詳しく知りたいという方向けに書かせていただきました。
第105回夏の甲子園で連日熱戦が繰り広げられています。
今回ピックアップするのは茨城県代表、土浦日大高校です。
本校は、茨城県土浦市小松ヶ丘町に校舎を構えます。
夏の甲子園出場は5年ぶり5回目の出場です。
開幕戦、長野県代表の上田西高校に対し延長タイブレークを制し37年ぶりの同校の初戦突破を果たします。2回戦でも福岡県代表の強豪校、九州国際大学付属高校と対戦。ドラフト候補選手の佐倉選手がいる中、3投手の完封リレーで初の一大会2勝を挙げました。
チームの特徴としては、投手陣を中心に左の藤本選手、右の小森投手や伊藤選手などが守備陣を支えます。
打撃陣は、初戦に3安打放った太刀川選手を筆頭にどの打順からも得点が狙えます。
そんな土浦日大高校の小菅監督にスポットをあててご紹介します。
今回の記事では
- 土浦日大の小菅監督ってどんな人?
- 小菅監督はどこで野球をやっていたの?
こんなことが理解できます。
それでは解説していきます。
105回大会土浦日大の勝ち上がり
第105回大会で快進撃を続ける土浦日大高校。
まずはその勝ち上がりを振り返っていきましょう。
1回戦上田西戦
開幕戦のくじを引き当てた土浦日大。
初戦の相手は長野県代表上田西高校でした。
松田選手のバックスクリーンへ飛び込む先制ホームランなどで序盤2点をリードしますが、すぐに追いつかれ開幕戦からタイブレークへ突入します。
延長10回、打線がつながり6点を追加。そのまま逃げ切り開幕戦勝利!
実に同校37年ぶりの初戦突破を果たしました。
2回戦九州国際大付戦
2回戦は49代表最後の登場となった福岡県代表九州国際大付属戦でした。
強打者佐倉選手など、実力がそろった相手でしたが、初戦の勢いそのままに3投手の継投リレーで見事完封勝利。
打線もつながるところはしっかりつながることができ、3点をもぎ取り、3-0で夏初の2勝をあげました。
3回戦専大松戸戦
【甲子園請負人】専大松戸持丸監督は指導者として全ての高校を甲子園へ導いた!? (asnysk.com)
3回戦は持丸修一監督率いる千葉県代表専大松戸でした。
巷では「常磐線ダービー」ともいわれ関東近郊は盛り上がりましたね。
序盤3回までに6点を奪われ劣勢の状況。
しかし、3回裏ここでも打線がつながり5点を返す。
4回裏にはすぐ同点に追いつき、5回裏にはあっさりと勝ち越しを奪いました。
4回以降は投手陣も要所を抑え無失点。
結果10-6で常磐線ダービーを制するのでした。
準々決勝八戸学院光星戦
準々決勝の相手は青森県代表の八戸学院光星でした。
2人の2年生左腕が相手で、下馬評としては八戸学院光星有利とみられていました。
この試合でも自慢の打線のつながりが発揮されました。
3回に集中打で3点を先制。
序盤で3-2と接戦を演じますが、6回の表にはまたもや集中打を見せて5点追加。
後半は、藤本投手が要所を締めて無失点の好投。
最終回には、開幕戦以来の松田選手のホームランで9-2で見事初のベスト4入りを果たしました。
茨城勢では、2011年春の水城高校以来(10-0で光星学院勝利)の対戦でしたが、今回は見事土浦日大に軍配が上がりました!!!
プロフィール
小菅勲監督(56)
1966年生まれ
茨城県常総市出身
土浦日大の監督就任7年目になります。
かつては伊奈高校、下妻第二高校などで指揮を執っていました。
小菅監督の選手時代~初任地での活躍
小菅監督の選手時代を振り返ってみましょう。
小菅監督は取手二高出身で、1984年夏に桑田・清原擁するPL学園に勝利し、全国制覇した際の三塁手として活躍しました。
この時のメンバーは投手の石田投手や現日本製鉄鹿島監督の中島選手などが在籍していました。
当時の監督は「木内マジック」で甲子園をわかせた故・木内幸男さんです。
小菅監督が1年生の頃木内監督から、「おまえはプロにはいけない、このチームのレギュラーにもなれない」と言われ泣きながら利根川沿いを歩いたそうです。それでも木内監督の野球観についていくと心に決め信頼関係を築いていった。
取手二高を卒業後は法政大学に進学。
法政大学でも野球を続けましたが、目立つような成績は残していないようです。
大学卒業後は、野球の道に進むことなく一度は地元の伊奈町役場に就職します。
ただ、野球の道に進むべく、役場を退職し教員免許の勉強に励む傍ら、木内幸男監督率いる常総学院でコーチをしながら指導者として学ぶ日々を過ごしました。
教員免許を取得後、1993年地元の伊奈高校に着任します。
監督就任3年目で、当時無名だった伊奈高校を初の県大会決勝へ導きます。
試合は、水戸短期大学付属高校(現水戸啓明)に2対1で惜しくも初の甲子園は叶いませんでした。
この頃から指導者としての素質を存分に発揮していたといえますね。
小菅監督の初の甲子園出場
asahicom:第86回全国高校野球選手権大会:最新ニュース
小菅勲監督の初の甲子園出場は、意外にも土浦日大ではありません。
2000年に同県、下妻第二高校に異動になります。
そこでも持ち前の手腕で強豪校へとのし上げます。
2004年夏、順調に勝ち上がり、下妻第二高校初の決勝進出を果たします。
決勝戦は、前年現メジャーリーガー、ダルビッシュ有擁する宮城東北高校に4対2で勝利して全国制覇を果たした常総学院との対決。
前評判では、圧倒的に常総学院が有利でしたが、木内監督の言葉「勝負は何が起こるかわかんねぇよ」を信じて戦います。
結果は7対2で常総学院を破り、下妻第二高校の初の甲子園出場、小菅勲監督自身、指導者として初の甲子園出場を果たしました。
甲子園では、熊本代表熊本工業相手に、接戦に持ち込みますが、惜しくも3対1で敗れてしまいました。
2009年の春の選抜野球大会でも初出場を果たします。
相手は九州代表、大分県の明豊高校でした。この時の明豊高校は今宮選手がおり、こちらも接戦に持ち込み、坂入選手、時野谷選手の両投手が粘りますが5対1で敗退しました。
下妻第二高校でも多くの選手を育て、現在トヨタ自動車野球部で活躍している諏訪洸選手も小菅勲監督の教え子になります。
小菅監督の現在
【甲子園】土浦日大、春夏通じて初の3回戦進出 小森勇凜&伊藤彩斗&藤本士生3投手で完封リレー|ニフティニュース (nifty.com)
2016年に土浦日大の監督に就任します。
就任2年目、2017年チームを31年ぶり3回目の甲子園出場に導きます。
対戦相手は長野代表松商学園。なんと21安打を浴び12対3で完敗でした。
翌2018年も2年連続で甲子園出場を果たします。
相手は現オリックスの宮城大弥(当時2年)擁する沖縄県興南高校。
1年前に甲子園を経験したメンバーが多く残る中臨みましたが、沖縄野球に惜しくも6対2で敗退してしまいます。
小菅監督自身、夏の甲子園初勝利はお預けになってしまいました。
しかし、2023年の茨城大会決勝を最終回大逆転で2018年以来の甲子園出場を果たし、見事甲子園初勝利を収めました。
まだまだ先の話ですが、小菅勲監督の木内イズムを継承する野球で、中学生も土浦日大に行きたいという子が増えるのではないでしょうか?
まとめ
- 最初は公務員として就職
- 伊奈高校で県大会決勝へ導く
- 下妻第二高校で2度の甲子園出場
- 土浦日大で3度の甲子園出場
- 2023年甲子園初勝利
今後も土浦日大、小菅監督の活躍に期待がかかります。
では!!!
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